SSブログ

深い~~い話し|エルトゥールル号事件 by 山根浩二 [話 題]


ここであなたに、あるストーリーを紹介します。

有名な実話なので、
もしあなたがすでにご存知でしたらごめんなさい。


■「エルトゥールル号事件」

ときは明治23年(1890年)。

オスマントルコ帝国の親善使節団が
エルトゥールル号という船に乗って
日本に来日しました。

明治政府は、オスマン帝国からの使者を歓迎し、
丁重にもてなします。

親善使節団は3か月の滞在のあと
帰国の途につきました。

エルトゥールル号が横浜から出航したそのとき、
哀しい運命が待ち受けているとは誰が予想できたことでしょう。

翌日、悲劇は起こりました。

和歌山県の紀伊大島付近を航海中、
折からの台風が船を襲ったのです。

エルトゥールル号は座礁し、それが原因となって
水蒸気爆発のあと沈没しました。

実に587名の乗員が、
この惨事の犠牲になったと言われています。


このとき、船の事故を知った紀伊大島の島民が、
必死の救助活動を行い、69名の乗員を救出。

島の生活は貧しく、自分たちの食糧もままならなかったのに
島民は遭難したトルコ人乗員に食事を与え、手厚い看護をしました。

それも島民たちの必死の想いからなんです。
「遠くから来た異国の人たちを、
 この日本で死なすわけにはいかない」と。


やがて明治政府の救援隊が到着。

明治天皇の指示で、日本海軍の軍艦を派遣することが決定し、
トルコ乗員生存者69名は、2隻の軍艦に分譲。

オスマントルコ帝国イスタンプールまで
無事帰国することになったのです。

オスマントルコ帝国は日本のこの至誠の行動に
深い感動と恩義の念を感じたといいます。



それから、100年後――1985年、イラン。



当時、イラン・イラク戦争の真っ只中。

首都テヘランは、
イラクから執拗にミサイル攻撃を受けていました。

イランといえば産油国です。

当時、テヘランには、各国の企業から
ビジネスマンが派遣されていたため、
世界中が固唾をのんで、注目していました。

(もちろん、日本人もいました)

さらに、サダム・フセインから
「48時間後にイランの上空にあるすべての飛行機を撃墜する」
という声明が出されたのです。


ということは、
48時間後は脱出する機会がなくなることを意味します。


各国は、48時間以内に救援機を派遣しましたが、
日本は当時の国内法上、
自衛隊や民間航空機の派遣は出来ませんでした。


万事休す―― 在留邦人は、さだめし絶望したことでしょう。

そのとき、トルコからの救援機も到着しました。
数百人はいるであろう在留トルコ人のために――
誰もがそう思っていたのです。


しかし、トルコ人達は、
救援機に搭乗しようとしませんでした。


今こそ、100年前の祖先が受けた恩義に報いる時だ!
 日本人にトルコの救援機に乗ってもらおう!


トルコの人々は、自分たちの危険を顧みず、
「エルトゥールル号」の恩返しをしたんです。
実に100年の時を経て。

在留邦人に譲ってしまうことで
トルコの人々は救援機に乗れませんでした。
彼らは、死と隣り合わせで、
トラックや車で祖国に避難したといいます。

トルコ人達は、
「当然のことをしたまでだ」と言わんばかりに、
人類共通の恩義のルールに従ったのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1985年当時、この事件について、
日本のマスコミの論評は以下のようなものでした。


「トルコが日本人を率先して救援したのは、
 近年、日本がトルコに対して経済援助を強めてきたからだ」と。


これに対して、駐日トルコ大使は、

「経済協力ゆえの救援ではなく、
 純粋な人道的見地からの措置だった。
 そのような日本のマスコミの見方を至極残念に思う」

といった内容のコメントを述べています。


実に、日本のマスメディアが野暮天だったかわかりますよね。
自分たちの理解しやすい文脈で
適当な落としどころをみつけて分かった気になる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

恩を受けたら必ず返すというルールは、
取引の公平・安定をはかる
洗練されたシステムという見方もできるでしょう。

しかし、それよりもはるか高みに、目先の損得や打算を超えたところに、
恩義の本質があるような気がします。

時代、国家、言語、文化、宗教を超えて、
普遍妥当性を獲得しているのはそのためでしょう。

人間の世界は、
「恩に始まり、恩に終わる」と言ってもいいかもしれません。

「恩」という漢字の成り立ちを考えてみたら
そのことがわかるような気がします。

「因」と「心」で構成されていますよね。

心の因ってきたるところ、
心を、心たらしめているところに「恩」がある。

「恩」の意識が薄れていけば、どんなに生活水準が向上しても、
人間性の深みや奥行きを欠いた、
無機的で情のない文化になってしまうかもしれません。

先人はそのあたりを理解していたのではないでしょうか。
まっとうな社会で人が幸福に生きるには
各人の心の主軸に「恩」を据えるべきであると。

だからこそ、「心」+「因」で「恩」にしたのではないかと。


ご先祖様、間違ってたらごめんなさい・・・

ーーーーーー ここまで ーーーーーーーーーー


ここまでの記事を書いたのは「山根浩二」さんという方です。

深い感動を覚え、他の方にも読んでいただきたく掲載します。

山根さんへのメッセージは下記から可能です。

http://ymml7.com/ke975/2391




スポンサーリンク





この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。